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人生100年時代

2021.05.24 ライフシフト

未来を読む

人生100年時代の到来を予想して、人類は生涯を通じて、自分をどんどん変えていく能力が必要である。
「人生の目的」と「人生の意味」を考え、人生を生き抜く上で、たえず新しいテクノロジーを学び続け、新しい経済状況・社会状況に対応しなければならない。

1.人口減少は国力の衰退につながらないか

ドイツの人口は日本の三分の二である。日本が重要な国である理由は、一億人以上の人口があるからではなく、ドイツと同じ創造性と経済生産性があるからだ。

日本は人口減少と同時に超高齢化が進行しているのが問題である。日本のように平均寿命が長い社会は人類史上なかった。社会からリタイアする人が増える一方で、それを支える現役世代が少なくなっている。  

 高齢者を活用するには、早く走ったり、重い荷物を持ち上げたりするのは無理であるが、仕事の経験が豊富であるので、アドバイスをするのには長けているそうした高齢者は、人生の目的を遂げていることが多いため、人を踏みにじる野心によって問題をおこすことが少ない。日本の超高齢化社会においては、高齢者を活用することである。 

 日本には、60歳や65歳になれば会社を辞めなければならない定年制がある。能力のいかんにかかわらず、一定の年齢に達すると退職しなければならない。それは酷いことである。

 アメリカではかつて定年退職制があったが、1960年に雇用における年齢差別禁止法が制定された。日本でも、定年退職制という馬鹿げた制度を止めるべきだ。

 ジャレッ・ダイヤモンドは、81歳になるが大学で教鞭をとっている。経験が豊富で、人を踏みにじる野心もないので、評価は高い。 

日本でも、働き続けたいと思う高齢者の雇用を確保し、管理者やアドバイザーなどの仕事で高齢者の能力をいかせばいい。

未来を読む ジャレット・ダイヤモンド 大野和基


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 高齢になるほど、記憶力が低下するが、カバーできるAIが開発されれば最強になれる。

2.人生100年時代、生き方はマルチ・ステージへ

先進国で2007年以降生まれた人の半分が100歳まで生きるから、「人生100年時代」の生き方を指南している。

一つ目は、来るべき長寿社会では「教育・仕事・引退」という3ステージはおわりを告げ、「マルチステージ」が到来すると予言する。フルタイムの仕事や定年退職という概念がなくなり、年齢にとらわれることなく生きる。人生100年時代においては、年齢を重ねてからの「学び直し」が重要となる。

二つ目は、「有形資産・無形資産」の二つの資産である。有形資産とはお金やモノをさすが、それ以上に健康や仲間、変化への対応力といった「無形資産」が重要である。寿命が延びると、お金を貯蓄するより、「より長く働くための資産」を蓄積する必要がある

「無形資産」には、「変身資産」「生産性資産」「活力資産」がある。

変身資産」:変化への対応力には、自分自身に対する理解や変化を助ける多様なネットワークが必要である。引退してからでなく、余暇の時間を利用して、学ぶ時間に使うのがよい。レクレーションでなく、リ・クリエーション(再創造)に時間を使う。

生産性資産」:生産性を高めて仕事を成功させるには、指南する人、深く話をすることができる人との関係を形成する。人脈が人脈を生み、スキルがスキルを生む。人生の新たなステージを切り開くことができる。

活力資産」:健康のことであるが、働き過ぎて、運動する時間が取れなかったり、健康を害したり、過労死もみられる。これは会社全体にとってマイナスになる。この問題は日本文化に根差しており、破壊は難しい。これには、企業トップのコミットメントに尽きる。企業内の変化はトップから巻き起こる。

もし、100歳まで生きるとすれば、引退後の蓄えを得るため、我々のほとんどは80歳まで働かねばならない。今の60歳は昔の40歳と同じくらいの健康状態を保っている。しかも昔の40歳よりも20年の経験を積んでいる。60歳以上の人たちに、生産的な活動をするように奨励しなくてはならない。そして企業もそれをサポートする必要がある。60歳で働くのを止め、かつ出生率が下がれば、持っているのはカタストロフ(破局)である。

以上述べてきたのは、「人生の目的」と「人生の意味」の組み合わせがあって、「積極的な選択」との組み合わせも必要である。

3.「人生の目的は何か」は、「なぜ死が存在するか」

葬送がだんだん簡略していってる。その背景には、死後のコストの問題が大きい。「子供や孫に迷惑をかけたくない」という団塊の世代特有の責任感の強さの表れかもしれない。

しかし、弔いが希薄化している実情とはいえ、自身や身内の死をなおざりにしてはいけない。死の意味や葬送の役割についていま、まさに問い直す時機に来ている。

「なぜ死が存在するか」と問われれば、こう答える。それは「次の世代にバトンを渡すため」。私たちは、社会という繋がりの中で死んでいく。言い換えれば死は決して個人のものではなく、公共性を帯びている。

一年草も1年で開花・結実・枯れ死するが、開花条件を満たさなければ長生きする。稲は、たくさんの穂つけて子孫を残す。

未来を読む リンダ・リットン 大野和基


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65歳になると引退を考えている人が多い。年金がなければ、80歳までも働かねば食べていけないから、年金と意欲とサポートのバランスが大切だ。80歳からはどんなステージとすべきか。

人生100年時代

4.虚構の奴隷になるな、虚構を利用して利益を挙げよ

人間のみ虚構を信じる

お金や国家、法人、人権といった虚構(フィクション)を信じる能力が、ホモサピエンスを今日の地位まで押し上げたと指摘している。

企業は、社員が正しいと信ずる共通のストーリーがあってこそ存続する。お金は、多くの人が同じ価値を信じているから成り立つ。これらが虚構であると理解しても、我々はこれらの価値を信じることをやめられない。

たとえば、お金というものには客観的価値は何もない。お金の価値は、多くの人がドルや円について同じストーリーを信じているという事実から出てくる。経済学者はそのことを分かっている。

「これを虚構だから信じるのをやめよう」とすれば、経済システムが崩壊する。そして他人同士はお互いに協力できなくなる。

しかし、注意しなければならないのは、虚構の奴隷になるのではなく、歴史的にもそうであったように、虚構が我々のためになるように機能させねばならない。

人間は長い時間の中で、目の前にあるものが現実なのか、それとも誰かが作ったストーリーなのか、区別する能力を失ってしまった。その結果、多くの人が、国家や会社や神という想像上のものに自分をささげて戦争に行き、何百万人という人を殺戮した。


現実なのか虚構なのか区別

こうした事態を回避するためには、まず自分の目の前にあるものが、現実なのか虚構なのか区別し、その上で利用することを考えることである

ではどうしたら両者を区別できるだろうか。ベストな方法は、「対象とするものが、苦痛を味わうだろうか」と考えることである。苦痛はこの世で最もリアルなものである。しかし、国は苦痛を感じない。国が戦争に負けても、苦痛を感じるのは国でなくそこに暮らす人である。企業も苦痛を感じない。自社が大赤字になっても、焦るのは自社ではなく、そこで働く経営者や社員である。

国も企業も、気持ちがないから、苦痛は感じない。それは、我々が作り出した法的な虚構である。対照的に、人間は実際に苦痛を感じる。リアルなものだからだ

そう考えると、我々が作り出した虚構によって、我々が苦痛を覚えるのがばかばかしくなる。我々は虚構の奴隷にならないよう注意して、それらを利用して利益を上げようとすればいいのだ。そう考えれば、少しは苦痛を減らすのに助けとなる。

我々はこの世にリアルに起きていることと、創造の中で作り出したストーリーを区別する能力を失いつつある。多くの人にとって、ストリーの重要性が増している。神に対するストーリーがあり、国家に対するストーリーがあり、人権に対するストーリーがあり、・・・そういうストーリーに心惹かれてしまう。そういうストーリーは自分のアイデンティティや人生の意味に繋がっている。そのストリーに反するものであれば、それが何であってもストーリーを守るために行動する。


パワーを幸福に転換できてない

人間は豊かになった、しかし幸せとは限らない。人間の幸福が、「どれだけ食料があるか」「どれだけお金を持っているか」といった客観的な指標を根拠にしていない。幸福は、「期待」によって左右される。何かを期待し、その期待が満たされると、幸福になる。一方、期待が満たされないと、不幸を感じる。しかし、生活状況がよくなれば、期待も上がってくる。心理学の分野では、人間は達成感や楽しいことを経験しているときに、「満足」ではなく、「もっと欲しい」と感じることが分かっている。美味しいものを食べると、もっと欲しくなるのが普通の反応である。「もっと欲しい」という反応を示している限り、満足することはない。達成した数だけ幸福を感じる。その数の過去を振り返った時こそ満足を得る。

人類は今、石器時代の何千倍ものパワーを手に入れている。しかし、何千倍も幸福になっているとは思えない。我々はパワーを獲得するには長けているが、パワーを幸福に転換する方法はわかってない。幸福になっても、幸福感は瞬時に消えるのではないか。

5.変化の時代に、狩猟民族に学ぶ

人生100年時代の到来を予想して、人類は生涯を通じて、自分をどんどん変えていく能力が必要である。現在、二つのプロセスが進んでいる。一つは人間寿命の長期化、もう一つはテクノロジーによる変化のスピードの加速化である。そのため、人生を生き抜く上で、たえず新しいテクノロジーを学び続け、新しい経済状況・社会状況に対応しなければならない。

しかし、本来、人間は変化を好まないから、これは、難しい。若い人は、新しいことを学んだり、新しいことに適応することは比較的簡単である。しかし、50歳になり60歳になれば、学習能力は低下する。

従来の生活様式では、人生は二つ(いや三つか)の時期に分かれていた。最初は「学ぶ時期」、次に「学んだことを使う時期」だ。最初の時期に安定したアイデンティティとスキルが確立され、あとはそれを使うだけであった。もうひと「引退の時期」があった。

しかし、これでは、21世紀には通用しない。我々は絶えず学習し、自己変革をしなければならない。スポーツ選手と同じで、40歳、50歳になると、そこから学ぶのはやめてしまう。監督やコーチでもなろうとする。しかし、テクノロジーが進歩し続ける世界では、彼らが実際に使っていたスキルは、21世紀にはあまり役立たない

どうやって生きていくことができるだろうか。そこで、環境に適応させるという意味で、狩猟民族から重要なことを学ぶことができる

一つは、自分の願望に合うように環境を変えるのではなく、自分自身を環境に適応させることである。狩猟民族は、自分たちの力では環境を変えることができない世界で生きてきた。だから、現代人よりもはるかに柔軟性や適用力がある。

もう一つは、自分の身体や五感に対して、鋭敏であることだ。狩猟民族として生き延びるためには、目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、すべてについて研ぎ澄ました感覚が必要だった。

現代人はサイバースペースに増々多くの時間を費やし、、こうした能力を失いつあり、生き抜く能力が低下している。狩猟民族を参考にして、五感に注意を払う能力を取り戻すべきである。

未来を読む ユバル・ノア・ハラリ 大野和基


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 土木技術者には、「運」と「勘」が必要だと思っていた。それには狩猟民族時代に培った目で見る、耳で聞く、鼻で嗅ぐ、すべてについて研ぎ澄ました感覚からと生まれたものかもしれない。

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