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インフラ整備

2021.05.24 歴史から学ぶ

歴史の謎はインフラで解ける

私たちは住処があってはじめて、人として生きていきて、文化的な活動を始めることできる。衣食足りて礼節を知るというが、住処がなければ、衣食住すら不可能になる。
土木技術とは、住処である「まち」や「国土」、すなわち私たちのあらゆる活動の基盤(インフラ)をつくり、守り続ける行為なのだ。土木技術とは、単に土を積み、木を削って作業をするだけのものではない。これからの社会と経済と文化をつくり、災害から人を守り、未来を紡ぎだす重要な行為である。こうした視点に立って、歴史を見直すことで、歴史を動かしてきた、歴史の謎が解けてくる。

1.土木事業と文明

人類は田畑で耕作するための水を運ぶ「灌漑」という土木事業を行い、洪水を食い止める「治水」のための土木事業を行ったことで初めて、野生から文明へと世界を改革していった。

四大文明の黄河文明、メソポタミア文明、インダス文明、エジプト文明は、いずれも大河との共生が、土木事業の行為があって、この地球に生まれた。

日本についてみれば、縄文時代中期を代表する三内丸山古墳の遺跡は、台地にありクリの大規模栽培がおこなわれていた。直径1メートル長さ10メートル以上もあるクリ材を用いた櫓のような高床の建物が見つかった。土木事業の展開を有する農耕集落が点在していた。狩猟採取のみに頼る社会からは脱皮を終えて、次の縄文時代への準備をしていた。

弥生時代の水田稲作は高度で大規模な土木事業を通じて成立する。灌漑の整備と水田の開発と運営には、集団による重労働が必要である。このためには、リーダーの下で共同作業を行うという社会構造が前提に広がった。すなわち広範囲に、支配と従属の関係がつくられた。この動きが弥生時代から古墳時代まで引き継がれた。

2.溜め池の時代、空海による満濃池の大改修

飛鳥時代になっても、一貫して水田は拡大を続けるが、そこに動員される土木事業はさらに大規模になっていく。特にこの時代を特徴づける灌漑技術は、700年代初頭から800年代初頭には、ため池の造営であった。ため池により開拓された水田は、非灌漑時には田面が乾燥する乾田であり酸素供給量が十分であるため高い生産性を上げた。

日本最大の灌漑用ため池である満濃池は、香川県にある。かの地は瀬戸内海の気候ゆえに雨が少なく、ため池がなければ農作を安定的に行うことができない。

奈良時代の初期に、満濃池が作られた。しかし、ひとたび大雨が降ると決壊し、平時においては農作を可能とする豊富な水量は、地域を破壊する恐ろしい凶器へと豹変し、地域破壊が繰り返されていた。

そんな事態を重く見た朝廷は満濃池の復旧に着手するも、技術的困難と人手不足によって改修が進まなかった。困り果てた調停が白羽の矢を立てたのが、僧侶「空海」であった。

弘法大師とも言われる空海は、真言宗を打ち立てた高僧であり、当に留学し、最新の仏教と土木技術を学んできた。空海が自らの郷土入りをすると人々は続々と集まり人手不足は解消し、唐で学んだ土木工学を生かして、わずか3カ月で修復を終えて、池を完成させた。

我が国において土木技術は、単に技術的に物を作る行為なのではなく、生きるものを救う衆生救済のためのものであり、古より最高の栄誉を与えられる利他行だった。

人口は国力そのものだったとすれば、水田稲作は日本の国力を弥生時代末期から500年間で7倍の人口である450万人の増加となった。

農が国の本である。その本を根底から支えたのは土木事業の力なのである。

3.千年の都・京都と土木事業

日本文化の象徴たる京都を作り上げたのが「平安遷都」という土木プロジェクトだった。平安京は、平安京は、西は桂川、東は鴨川に囲まれた京都盆地につくられ、必然的にその地は水害に襲われていた。その対策として和気清麻呂は賀茂川で歴史に残るもっとも古い河川の付け替えを行っている。

人間の営力による地形として都城の建設のための東西南北を縦横に走る道路・畔・溝が建設された。都市を維持していくには今も昔も雨水排除が必要不可欠だ。溝は、碁盤の目状に街路が整備され、宅地からの雨水は東西方向の溝が受け、それを南北の溝によって南に流下させていた。当時において今日のような緻密な下水道システムが構築されていた。

都城の地盤は、礫層が主体で基盤まで数百メートルの帯水層であり、地下水盆構造であるため地下水には恵まれていた。それで平安京では2メートルも掘れば新鮮な生活用水が確保できた。これらにより、歴代の遷都から動かない都へと転化した。

4.治水、農地拡大が築いた江戸文化

江戸時代初期の国土への働きかけ=インフラ整備がいかに江戸時代そのものを形成していったのか振り返ってみる。江戸時代の初めに人口増は、その前提として耕地面積の急激な拡大があったからなのだ。1500年代の中頃には100万町歩であった耕地面積は、吉宗が治世する1720年ころには300万町歩まで拡大した。この背景には、戦国時代が終り大名が領国経営に専念できる環境が整った。この耕地面積の拡大は、それまでの時代には、技術的にも人員的にも難しかった大河川の付け替えや改修による。したがって、この時代を日本史上初の大河川改修時代と呼ぶ。この可道の付け替えや新田開発や用水事業により、実質的な領土拡大が図られた。

その結果、収穫も1000万石から3000万石まで急上昇し、それによって養うことができる人口も、戦国時代末の1200万人から3000万人に増加した。しかし、順調に伸びてきた年貢収入が1700年を超えたあたりから減少してきた。人口も、ぴたりと増加を止めてしまった。そこで1721年に世界で初めての人口調査を行った。人口減少の原因は、新田開発に水を回すことで、収益の減少を生んでしまった。当時の技術力では開発可能な土地はなくなっており、技術力の限界に突き当たっていた。社会の基本は人口である。人口調査は国勢調査というように人口は国力そのものである。

5.交通インフラが日本の国土構造を決めた

道路や港湾、鉄道などの交通インフラは、それぞれの都市の規模、さらには国土構造に決定的な影響を及ぼす。

江戸期までの国土構造を決定したものは、舟運ネットワークに接続されている街が発達した。いずれの大都市も臨海都市であり、北前船が就航していた街である。唯一の例外は京都であるが、運河を通して中心部まで物流が可能であった。街道を使った陸路の物流は、舟運に比較して圧倒的に小さなものだった。舟運ネットワークに接続された町々の産業は、自分自身の街周辺だけでなく、日本中を商圏に収めることが可能だった。

130年のあまりの間に、かつての大都市だったのに今はそうでなくなった和歌山や徳島などの都市もあれば、その逆もある。静岡や新潟、岡山、福岡などは、かつては大都市ではなかったが、現在は大都市になっている。これは、新幹線ネットワークに接続されている街が発達したのである。

新幹線が、大都市の形成にとって極めて重要な意義を持っていたのは、次の事実からわかる。第1に、かつても今も、大都市であり続けている東京、大阪、名古屋、京都、横浜、頭、仙台、広島はいずれも、新幹線の沿線都市圏である。第2に、和歌山、徳島、金沢、熊本、鹿児島、函館の7つの都市は、明治から衰退した。いずれも、(2010年までは)新幹線と通っていなかった。第3に、明治期から発展した千葉、相模原、川崎、静岡、浜松、新潟、酒井、岡山、北九州、福岡、札幌は、いずれも(札幌は例外だが、道内の中心)新幹線の沿線都市に位置している。新幹線の整備投資が行われた都市は発展し、行われなかった都市は衰退していったという実態を示している。

さらに、今日では生産地と居住地の分離が進み、必ずしも生産施設の多い臨海部の工場地帯に多くの人が住むとは限らないことから、都市の人口集積において、高速道路を中心にした物流ネットワークとの接続よりも、新幹線を中心とした人流交通ネットワークとの接続性がより多くの意味を持つにいたった。さらに、産業構造が第三次産業が重視されていくようになったことも、人流交通ネットワークとの接続が、都市形成に意味を持つようになった。

6.日本衰退の原因

道路や港湾、鉄道などは公共投資額が、日本のGDPに占める割合の変化に日本衰退の原因があった。これは1980年当時で8%であったが、2008年時点で3%まで下落し、その後で増減を繰り返しながらも一貫して削減され続けてきた。これには、高度成長期以前に比して、日本のインフラが十分に整備されてきたため、こうした土木事業の縮小は必然であると言われてきた。

しかし、主要先進7か国の比較をしてみると、日本の高速道路の整備水準はダントツの最下位である。再開である。新幹線について言えば、20万人以上の人口を抱えているにも関わらず、新幹線が接続されていない都市は実に21に及ぶ。一方、フランスやドイツでは「日本に追い付け追い越せ」とばかりに、新幹線の整備を含めて20万人以上の人口を抱えたほとんどすべての都市に新幹線を整備していった。

諸大国はインフラ投資を、過去20年間にさらに加速させている。日本は先進国に比してインフラ整備水準が圧倒的に低いにも関わらず、公共投資を削減し続けている。

土木技術を通したインフラ投資が、どれだけ地域や国家の繁栄にとって重要であるか。土木事業を蔑視する日本は、確実に国力を衰退させていくだろう。

7.東京一極集中と地方の疲弊の理由

日本一国が土木技術によるインフラ投資をスローダウンさせていったことで、日本の成長力が大幅に低下し、日本の国力が激しく凋落し続けている。それ以外に、日本の国土構造に大きな変化をもたらしていることがある。それは東京一極集中である。それが首都であるが故の必然であるといわれるが、それは間違いである。他の国にそのような人口の集中は見られない。ではなぜ等級だけ人口の一極集中が進行するのかと言えば、インフラの一極集中が進められているからだ。

日本以外の主要先進国は全国各地にまんべんなく高速道路が整備されている一方、日本では、太平洋ベルト、とりわけ首都圏に集中して高速道路投資が集中している。

インフラをつくったエリアは成長していく一方で、つくられなかったエリアは成長できなる。高速道路まで30分以上のエリアの成長率は8%に過ぎないが、10分のエリアなら、その10倍以上の92%もの成長率に到達している。

過去半世紀おいてはやはり、東京を中心とした大都市への投資が優先された。そうした都市部への投資が一段落した段階で、土木投資を縮小させたのである。とりわけ東京都それ以外の地域との間に、インフラ投資水準の大きな格差ができ、固定されてしまうこととなった。

即ちわが国では、東京一極集中が過激に進み、その陰で地方が激しく衰退していいた。方の衰退を防ぎ、地方を活性化させるには、すでに計画されている高速道路と新幹線の整備計画を着実に進めていくことなのである。

8.日本の未来は土木事業次第

近未来の巨大自然災害は、日本史始まって以来の未曾有の巨大災害をもたらすことは、間違いない。なぜそれほどまでに巨大な被害になるか。それは日本列島の国土の在り方が今までとは全く違うからである。

我々は過去半世紀の間に、かつての社会とは全く異なる高度に複雑で、様々の要素が有機的に連携した巨大な文明を築き上げてきた。関東平野や、南海トラフ地震、富士山噴火の想定被災地といった過去に幾度となく巨大災害が起こり、今後も起こることが明らかである地域に、近代文明の枢軸施設を集中させたメガノポリスを築き上げてしまった。

こうした認識を背景として、今日の致命傷を受けることを回避し、未曾有の災害が未来に及ぼす影響を最小化させ、こうむった被害から迅速に回復させるという強靭性を向上させていく取り組みが必要なのである。そのためには土木事業にどれほど傾注できるかということである。

 

―教養としての土木工学―

インフラ整備

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