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リスクマネジメント

2021.05.17 マネージメント

原因は複数ある

わたし達は機械的なものの見方になれているために、単一の原因を探してしまうことが多い。しかし、複数の原因の組み合わせを探るという思考の習慣(OS)を身につければリスクマネージメント活動の根本となるだろう。

1.熱気球が突然浮上

何か劇的な出来事を目撃したとき、その原因は何かを詮索しようとするのが通例だ。

しかし、出来事の「真の原因=真因」を探ろうとするとき、わたし達の目はしばしば、分かり易いキッカケを探すことになる。とくに、企業の業績などの話になると、何々がV字回復のカギだったといわれる。その「浮力」となった、たとえば競争力などの構造的変化は、外的にはなかなか見えにくい。一方でメディアも一般の人々も、「分かりやすい物語」を好む。

例えば、熱気球が、今やいっぱいに膨らみ、空に飛び立とうとしている。乗員が地面との係留ロープをとき、重りの砂袋を一つまた一つと、放り捨てていく。5つめの砂袋を捨てたところで、気球のカゴはゆらりと地を離れ、そして次第に勢いをつけて舞い上がっていく。

気球はなぜ、浮かび上がったのか。5つめの砂袋を捨てたことが、気球の飛び立った理由ではない。

5つめの砂袋は「キッカケ」の一つである。たまたまそれが、その時にはキッカケになるめぐり合わせだったのだ。それがきっかけになるためには、それ以前に4個の砂袋が、地上に落とされていなければならない。また条件によっては、キッカケは6個目になることも、4個目だったこともある。

一つ落とすごとに、少しずつ気球全体は浮力を増す。ただし、それは係留ロープの張力という、目に見えにくい事象にあらわれる。そして、ある限界を超えたとき、その瞬間に浮上という劇的な出来事が起きるのである。だから、5つめの砂袋がV字回復のカギだったという物語が広がりはじめる。

2.釈迦の臨終

わたし達は何かトラブル事象が起きたときに、その原因は「一つ」に特定できると考える。だが、多くのトラブルは、二つ以上の複数が同時に組み合わさることで、発生する。一つだけなら、発生しない。

仏教の創始者・シャカは晩年、旅で寄ったパーヴァー村で、チュンダという名の鍛冶屋の子が捧げた食べ物を食べて、重い食あたりになる。そして近くのクシナガラの地で臨終を迎えることになった。

伝説によると、シャカが重い病気になったと知ったチュンダは、沙羅双樹の下に横たわる尊師の前にいき、自分の捧げた食物が原因で病を招いたことの許しを請うた。

しかし、釈尊はチュンダに

嘆くな、チュンダよ。わたしはお前の食物を食べたから、死ぬのではない。わたしは、この世に生まれてきたから、死ぬのだ」と答えた。

チュンダの食物は、キッカケでしかない。生あるものは、すべて死す。それが道理であると伝えた。つまり、

釈尊の死の根本原因は、「生まれてきたこと」

自体にあると考えることができる。

チュンダの捧げた食べ物は一説にはキノコ料理といわれているが、托鉢僧は基本的に、もらった食べ物は好き嫌いをいわず、食べなければならない。ただ、キノコ料理を食べる誰もが死ぬ訳ではない。しかし、生まれてきたもので、死ななかった者はない。

釈尊はすでに高齢で、29歳で出家して以来50年間各地をめぐる遊説の旅をしてきた。高齢という内部環境に、疲れと傷んだ食べ物という外因が働きかけて、死に至る食中毒症状が引き起こされた。つまり、「高齢」+「疲れ」+「傷んだ食べ物」という組み合わせが原因なのである。しかし釈尊は一人で旅していた訳ではないのだ。ほかの弟子を伴っていた。彼らはたぶん同じものを食べたが、死ななかった。


変死事件があり、警察が呼ばれたとき、「原因はガイシャが生まれてきたことにあります」では刑事は納得しまい。被害者が高齢であった上に、傷んでいた食べ物を食べた。直接の死因は食中毒にある、と医師は鑑定し、食事を作ったものに疑いの目が向けられる。やはり食物が真因なのか

沙羅双樹の花

3.原因は右手ですか、左手ですか?

右手と左手を打ち鳴らしたら、音が出る。右手だけでは、音は鳴らない。左手だけでも、ならない。ふたつの手が必要なのだ。このとき、「原因は右手ですか、左手ですか?」と問うことはできない。事象を見たときに、その真の原因をきちんと把握しなかったら、正しく学べない。5という数字の砂袋を無意味に探し回るだけになってしまう。

本や教師から知識を得るだけが「学び」ではない。自分が遭遇した出来事から、何かを「学ぶ」ことで、わたしたちは成長する。

だが、わたし達は「事象の原因を探る」ための方法論について、遺憾ながら十分な訓練を受けていない。まことに驚くべき事だが、そもそも21世紀の現代社会にあっても、原因分析にはまだきちんとした科学的方法論が十分確立していない。

最近わたし達を襲った大きな社会的災害や困難から、国民的な知見として何を共通に学んだのか? 経験から学ぶことは、万人に必要なスキルであるが、万人が身につけてつかえる方法論は、今のところ欠けている。

 

熱気球の浮上も、釈尊の死因も、いずれも二つ以上の『原因』がかかわっている。熱気球の場合は、バルーンの空気による構造的な浮力に加えて、複数の重りの砂袋を捨てるという、きっかけの動作が原因だ。釈尊の場合は、高齢と遊説による体力低下という構造的な不安定と、腐った食べ物の摂取という、いささか危ないキッカケの行動が原因だ。

熱気の浮力や高齢はいずれも内部環境に関することだが、これは強風や酷暑といった外部環境であっても、同様なことが起きただろう。つまり、一般化すると、こう定式化できる。いずれも、二つ以上が同時に起きることが、事象の発現には必要だった。それぞれ一つずつは必要条件だが、十分条件ではなかった。

4.システムを防御装置と考えると

傷んだ食べ物をとる程度のあぶない行動の場合は、ふつう、システムの自己防御作用が発動して、正常に戻る。だが、内的環境の不安定な変化に、外的なインパクトが一つ以上加わることで、そのシステムは対応力を失う。

人間の身体は非常に精密なシステムである。長い進化の過程を経て、驚くほど精妙かつ安定な仕組みにできあがっている。動的なのに、平衡や免疫その他の防御装置がきちんと作動して、安定に存続し続ける。

むろん、対応力には限界があるので、たとえば車に衝突されたり、誰かに銃弾を撃ち込まれるような問題行動をすれば、システムは動作を単一の原因で停止するだろう。だからそんなことが簡単に起きないように、人間は、社会という名の、もう一つ上の階層のシステムを作って、さらに防御をはかっている。

では、熱気球はシステムなのか? あれも、砂袋と熱気を排出するバルブという、安定化制御のための仕組みをもった乗り物である。そして複雑な情報処理機能を持つ乗員が操作している。単純に見えるバルーンにだって、二重にも三重にも防御の手立てをセットしている。だから、もし熱気球に事故が起こったら、それは二つ、あるいは三つ以上の原因が重なったケースがほとんどのはずだ。それがシステム的なものによる原因分析の見方である。

そして複数ある理由のうち、自分たちがコントロール可能な要因をみつけ、そこに対策を講じる。わたし達がコントロールできる原因を、真因とよぶ。老齢はコントロールできない。食べ物はできる。だから食べ物について対策を考える。それも個別に毎回どうするかを考えるのではない。たとえば、若い弟子から先に毒味をしていくルールにするなど、システムとしての方策を講じるのである。


わたし達は機械的なものの見方になれているために、単一の原因を探してしまうことが多い。しかし、世の中の少なからぬ物事は人間を含むシステムとして動いている。

もしも組織の中で、『学び』や『教訓』を活かしたかったりしたら、複数の原因の組み合わせを探るという思考の習慣(OS)を身につける必要がある。それが、リスク・マネージメントとかナレッジ・マネージメントといわれる活動の根本なのである。

 

佐藤知一著 世界を動かすプロジェクトマネジメントの教科書 

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